ヨコスト湿原〜白老おもてなしガイドセンターとめぐる

住所白老町ヨコスト湿原
電話0144-82-2216
ガイド料金時間と人数によるので、お問い合わせください。
ガイドセンターHP白老おもてなしガイドセンター
アイナ
アイナ

冬のヨコストを、白老おもてなしガイドセンターの降矢さんと坂元さんに案内してもらいました!

ヨコスト湿原は、白老町の海沿いの湿原で面積は約33ha。

湿原には、ポロトとつながるウツナイ川とヨコスト川が流れ込んでいます。

この看板は、喫茶休養林の店主が作った作品です。
坂元さん
坂元さん

ヨコストとは、アイヌ語のヨコウㇱトから変化したものだそうです。

ヨコはモリを構える、ウㇱはいつも、は湖や沼です。

アイナ
アイナ

つまり、いつもモリを構える=いつも漁をする沼… 。

獲物の沢山ある沼という意味なんですね!

坂元さん
坂元さん

ヨコストには、400種類以上の植物があると言われています。

ハマボウフウ、ハマナス、シロヨモギ、ハマエンドウ、ノイチゴは食用になりました。

坂元さんの作ったヨコストの植物リスト
アイナ
アイナ

さすが、環境省の重要湿地に指定されているだけありますね!

坂元さん
坂元さん

それに、野鳥やシカも食べられますし…。

浜では、魚はもちろん、昆布や貝を採ったりもしたんですよ。

まさに、いつも漁をする沼(ヨコウㇱト)ですね!

アイヌ文化を学びに、ヨコストへ!

白老おもてなしガイドセンターは、ヨコストもガイドしてくれます!

アイヌ民族は丸木舟に板をつけたイタオマチㇷ゚を使い、樺太を経由して中国大陸に渡ったこと…。

アムール川沿いにロシア上流まで交易に行ったこと…。

北方領土を超えて、アリューシャン列島まで渡ったことを聞きました。

アイナ
アイナ

まさか、そんなに遠くまで丸木舟で行ったとは…!!

実際の海を目の前にして、ロマンが広がるお話が聞けました!!

秋にはハマナスの花畑が見られる

アイヌ語名はマウニ

アイヌ民族の子供たちは、ハマナスの実を数珠のように糸でつないで、首かざりにして遊んだそうです。

アイヌ民族の首飾り「タマサイ」に憧れたのでしょう。

乾燥させて保存食にしたり、つぶしてジャムのようにして食べたりしました。

オハウに入れると、赤くて美しい上等なオハウができたそうです。

また、ハマナスの花びらは、和人がバラの香水を作る原料にしたため、

交易のために採取して売られていました。

シロヨモギなどの野草の宝庫

アイヌ語名はレタンノヤ

見た目は白いのですが、本当にヨモギの匂いがします。

白老では、荻野の人たちがよく食べたそうです。

シコシコした食感のよもぎ餅になります。

ヨコストがヨコウトであるために

この看板の作者も同じく喫茶休養林の店主です!

アイヌ語地名を知ると、その場所のかつての姿を知ることができます。

いつも漁をしていた(ヨコウㇱト)ということは、近くの森や沼から豊かな栄養分が流れてきたということでしょう。

かつてのヨコスト湿原を知る方は…

花がいっぱい咲いて、蝶々や蜂が飛ぶ、天国のような場所だったわ!

と言います。

でも、ここにいる野鳥や植物も、数が減っていますよね…。

魚も、漁獲量が年々減っているそうだし…。

坂元さん
坂元さん

今は国道36号線が湿地のど真ん中を突っ切ってますしね。

工事の影響か、湿原の水量も減り、貝も死んだそうです。

湿原って、ドロドロで、なんか汚いでしょ?

でもね、大雨や洪水の時、水を吸ってくれる役目もあるんですよ。

アイナ
アイナ

へえ〜!湿地って、すごいですね!

近年は、豪雨災害が増えているので、こういう自然は本当に大事にしないといけませんね。

坂元さん
坂元さん

漁獲量が減り、災害が増えています。

私たちの便利な生活も、立ち止まって見直すべき時に来ています。

アイヌ民族の生き方や知恵を学ぶことは、私たちの未来を導いてくれるでしょう。

アイナ
アイナ

この「ヨコスト」(いつも漁をする沼)という名前は、私たちの子供にも伝えられていきますから…

子供たちが大きくなった時、「何にも獲れない沼」にならないように、守っていきたいです。

おもてなしガイドセンターへのガイドのご依頼は、こちらをご覧ください。

おまけ…イオル再生事業

白老町のイオル再生事業の栽培地としても使われています。

希少植物を保護して生育させようとしていますが、なかなか難しいようです。

イオルとは、狩りをする場所のことです。

詳しくは、イオル再生事業についてのページをご覧ください。

バッタとのたたかい

1880年、北海道の各地でバッタの大量発生(蝗害)が起こりました。

トウモロコシや栗の被害がひどく、駆除のため野原は焼き払われました。

学校が臨時休校になることもあったそうです。

1882年の「北海道蝗害報告書」には、ヨコストでバッタを駆除する人々の絵が描かれています。

アイナ
アイナ

アイヌ民族の衣装を着た人々と、和人らしい人々が、協力して駆除をしているようですね。

拡大図

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