住所 | 白老町若草町2-3 |
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TEL | 0144-82-3914 |
OPEN | 曜日や時期により変更になります。こちらをご確認ください。 |
予約 | チケット・予約案内 |
HP | https://ainu-upopoy.jp/ |
現在のウポポイに関する詳しい情報は、ウポポイホームページをご覧ください。
ここでは、ウポポイができるまでの経緯と、それ以前にあったポロトコタンのことを、ポロトコタンの野本 正博(まさひろ)元館長に聞いてみたいと思います。
目次
シラオイコタンからポロトコタンへ
白老町はアイヌ民族文化伝承の里として知られ、北海道でも屈指の規模を持つ「白老コタン」があったんですよね。
はい。しかし、白老コタンには多数の観光客が訪れ、町民の日常生活にも大きな影響を及ぼしたため、ポロトの湖の方へ移転。
ポロトコタンが創設されました。
1960年以降の北海道観光ブームにより、ポロトコタンにも観光客が増え始めます。
すると、そんなポロトコタンの活動を、民族を売り物にする「観光アイヌ」だと皮肉る声もありました。
しかし、ポロトコタンは、誇り高く文化を伝承する人々の集まりです。
1984年、それまでの「白老民俗資料館」を「アイヌ民族博物館 (The Ainu Museum」という登録博物館にして、観光だけでなく民族伝承に重きを置いた活動をしてきました。
ポロトコタンは、フィンランド、スウェーデン、イギリス、ドイツでも公演を行い、世界にアイヌ文化を発信してきました。
また、サーミ、イヌイット、ネイティブアメリカンなどの先住民族とも交流してきました。
1965年の創設から2018年の閉園まで、訪れた人数はのべ2500万人を越えました。
ポロトコタンからウポポイへ
もともと、ウポポイを建てるに当たって、白老町を含めた7つの候補地がありました。
では、なぜ白老町が選ばれたのでしょうか?
それは、次のような理由によるものと考えられています。
- アイヌ民族が運営し、観光と文化伝承のバランスが良かったこと
- 空港や札幌市街からのアクセスの良さ
- 森、川、海がつながる自然環境の良さ
- 町民とポロトコタンとの関係の良さ
2018年までのポロトコタンは、白老町の一般社団法人によって運営されていました。
以前は、町民が自由に出入りでき、イベントなども町民が主体的に行ってきました。
でも、現在の国立博物館では、町民も入館料を取られるんですよね…。
白老町との連携は薄れ、町民にとっても敷居が高くなったという声を聞きます。
とはいえ、ウポポイが白老町に来なければ、ポロトコタンも先細りしていったかもしれません。
ウポポイを白老町に招致するのは、町民の夢でもありました。
ウポポイがなければ、私も地域おこし協力隊として白老町にくることは、できなかったかも…。
コタンコㇿクㇽ像
ポロトコタンの重要なシンボルが、このコタンコㇿクㇽ像でした。
ポロトコタンの入り口に、シンボルとして、コタンコㇿクㇽ(村長)の巨像が建っていました。
この土地のランドマークとして、コタンのエカシ(長老)をイメージしたものです。
高さ16m、幅7m という巨大なもので、右手にイナウを持ち、左手は刀にかけ、コタンを訪れる人々の安全と幸福を祈っていました。
像の前に置かれた賽銭箱に集まったお金は、町社会福祉協議会へ寄付していました。
クリエイティブな民族性
私がアイヌ民族の一番好きなところは、想像力が豊かなところ。
クリエイティブなところです。
クリエイティブ…。
アイヌ文化の想像力について、その時は深く聞くことができませんでした。
でも、アイヌ刺繍教室に行き、アイヌ古式舞踊を習い、感じたことがありました。
「さぁ、みんな行くぞー!」
「よし、ここは、こうしよう!」
声をかけあって、全体で先に進める姿。
輪になって踊りながら、ちょうどいい場所にはいる、巻舌の鳥の声。
トントン、とテンポが良く、なんだか気持ちいい!
「空気を読む」とか「遠慮する」とはちょっと違うコミュニケーション。
地域性もあるかもしれませんが、私が6年暮らしたイタリアの空気と、少し似てるな…と思いました。
声を出して、イメージをして、相手と共有するのが上手い人が多いような気がします。
さすが、自然の中にカムイを見いだし、ウエペケㇾやユカㇻを伝えてきた民族の子孫…と思ったのでした。
アイヌ文化は目に見える方に偏りがちです。
でも、ものの見方や価値観など、目に見えないものを伝えることが大事です。
ポロトコタンでは、アイヌ民族の心を伝えることを目指していたのですね。
今後のウポポイにも期待していきたいと思います!
ポロト物語
白老町がまとめたポロトの歴史が、こちらのページで読むことができます。
当時の白老町のポロトをめぐる詳しい内容が書かれていますので、読んでみてくださいね。
ウポポイで子供と過ごす週末
インスタで動画を公開していますので、よかったら見てみてくださいね!
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