代表 | 山崎 シマ子 |
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OPEN | 月曜日 |
TIME | 10:00~15:00 |
結成 | 1999年4月 |
会員数 | 12名 |
目次
母の手仕事
テケカㇻペは、アイヌ語で「手仕事」という意味なんですね。
手仕事を大切に受け継ぎ、後世に文化伝承されていくよう木綿糸や布を用いたルウンペ(木綿衣)やタペストリーなどの作品作りに努めています。
2022年度はチタㇻペ(花ゴザ)編みをし、2020年度はエムㇱアッ(刀掛け帯)制作をしました。刺繍だけでなく、アイヌの手仕事のさまざまな技法を学んでいます。
山崎シマ子先生
白老の作家さんたちは、「山崎先生に教わった」という人が多いですが、山崎先生自身は誰に教わったんですか?
先生のお母様ですか?
私の父親には「アイヌの手仕事はするな」って言われてたんだよ。
それだけ差別を受けて、苦労したんだろうね。
私が手仕事に触れたのは旧アイヌ民族博物館(ポロトコタン)に入った時。
1987年から10年間、ルウンペをはじめとする木綿の着物や、サラニㇷ゚(編み袋)、エムㇱアッ(刀掛け帯)、アットゥㇱ(樹皮衣)、キナ(ゴザ)の制作をしました。
アットゥㇱ制作は、1995年に、平取へ研修に行って覚えたんだよ。
技術を覚えるために平取まで行ったんですね!
私は工芸班にいて、複製の仕事をしていたの。
分からない技術があると、平取や札幌など他所に習いに行っては覚えたのよ。
退職後も、女性の手仕事を中心とした伝統民具・工芸品の復元・制作に携わってきました。
同時に生徒にも教えるようになり、テケカㇻペで20年以上指導に当たっています。
今も材料を調達するために、遠くまで行くこともあるよ。
申請すれば材料費は出してもらえるんだけど、その手配は全部自分たちでやっています。
交通費も宿泊費も出ないから、自分たちのお金でね。
技術を覚えるために、時間もお金もかけてきたんですね。
情熱を感じます!
それは、やっぱり手仕事が好きだってことだと思うの。
好きじゃなかったら、続けられなかったかもしれない。
そして、その覚えた技術をまた別の人に教えるというところまでやっているのが、素晴らしいと思います。
中途半端な覚え方では、人には教えられないし、そのまま生徒に伝わってしまうでしょう。
だから、ちゃんと自分が覚えることが大事ね。
白老の色々な手仕事をしている方に「誰に教わったか」を聞くと、「山崎先生」という人が多くいます。
山崎先生は、まさに白老の手工芸の母ですね!
いや、そんなことはないと思うけど…。
「そんなことはない」と山崎先生は言いましたが、テケカㇻペのメンバーは「そうだよ、そうだよ!」とうなづきました。
ご自身はお母様から教わることはなかった手仕事ですが、それを山崎先生は、自分の力で技術を身につけてきました。
そして今は白老の人たちに教えているのです。
私は昔のものを作って、伝承をしているの。
新しいものを作ろうとはしていないけど、生徒さんたちが新しいものを作ってくれる。
とても楽しみにしています。
先生は時に厳しいけれど、手仕事に傾ける情熱は、白老の多くの作家が活動するための熱となって伝わり続けています。
山崎先生は2021年に、アイヌ民族文化財団より長年の功績を讃えてアイヌ文化賞を受賞しました。
また、2023年には、白老町教育委員会より白老町伝統文化継承者として認定されました。
サークルの歴史
1999年4月に工芸サークル「テケカㇻペ」が結成されましたが、会員が20名を超え、大きくなりすぎたので解散することになりました。
2005年に、改めて「テケカㇻペ」を再開し現在に至ります。
メンバーは、刺繍だけでなく様々な手仕事に取り組んでいます。
- 2022年 ゴザ編み
- 2021年 ルウンペ
- 2020年 エムㇱアッ
展示の記録
白老では、過去にしらおい創造空間「蔵」で10回、白老生活館で1回、白老中央公民館で2回、また過去には白老文化祭にも出品していました。
現在はチキサニで毎年1回の展示とミニ体験を行っています。
道庁で行われたイベントでも展示と実演を行いました。
道外では奈良で2回、神戸で1回展示を行いました。
ウポポイの2022年文化の日の展示には、テケカㇻペも参加しました。
商品
ポロトミンタㇻで販売しています。
[…] ここでは、白老の4つのアイヌ紋様刺繍サークル「テケカラペ」「フッチコラチ」「チシポの会」「エミナの会」のメンバーが作っている、紋様入りの小物も売っています! […]
[…] これは、白老町の4つの刺繍サークル「テケカラペ」「フッチコラチ」「チシポの会」「エミナの会」の文様です。 […]
[…] 文様は、白老のアイヌ刺繍サークル(エミナの会、チシポの会、テケカラペ、フッチコラチ)の文様を使いました。 […]
[…] 3ヶ月間、山崎シマ子先生におそわり、半纏を作ったのが始まりです。 […]
[…] 参加者は講師の山崎先生、助手の菅野先生を入れて15名の方が参加しました。 […]
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