場所 | コミュニティセンター(コミセン) |
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講師 | 大須賀 るえ子 |
OPEN | 水曜日 |
TIME | 18:00~20:00 |
目次
みんなで本を作ります
ウエペケㇾは、メロディをつけず日常会話に近い語り口で体験を子孫に語り伝える「散文説話」です。
金成マツ媼の書き遺したウエペケㇾは160編ありますが、まだ日本語訳がついていない稿もあります。
そこで、「白老楽しくやさしいアイヌ語教室」が、アルファベットで書かれたアイヌ語を1つ1つ解読し、日本語訳しています。
筆記体が難しくて、アルファベットを読むだけで一苦労です…!
全員で協力して翻訳し、分担して日本語訳を作成しています。
分からない単語があると、複数の辞書を使って調べます。
金成マツ媼は、滝本イチ・金成アシリロ・知里ハツなどの口述したウエペケㇾを文字に残しました。
また、森竹竹市翁も、上野ムイクテン媼の口述したウエペケㇾを書き残しています。
それらの遺稿をもとに、「白老楽しく・やさしいアイヌ語教室」では2004年から作業を始め、2021年までに17冊の本を出版しています。
ほとんどはアイヌ語から日本語への翻訳ですが、まれにアイヌ語の原文が見つからないことがあります。
その場合は、日本語からアイヌ語に翻訳して、2言語で併記した本を作っています。
本は、図書館や学校に配布しており、白老町図書館やしらおいイオル事務所「チキサニ」にも置かれています。
ウエペケㇾってなに?
ユカㇻとウエペケㇾって、何が違うんですか?
アイヌ口承文芸には、カムイユカㇻ(神謡)、アイヌユカㇻ(英雄叙事詩)、ウエペケㇾ(散文説話)という3種類があるの。
●カムイユカㇻはサケヘ(繰り返し句)をもち、メロディがあります。
主人公はカムイ(神)つまり動物です。
●アイヌユカㇻは語り手自身のメロディでどの話も謡っていきます。
レプニと呼ばれる棒で拍子を取り、ヘッチェという合いの手を入れます。
主人公は人間の少年ですが、超人的能力を持ちます。
●ウエペケㇾはメロディをつけず日常会話に近い語り口で、主に体験談を子孫に語り伝えます。
神と人間が密接に関わって物語が展開していきます。
ウエペケㇾはユカㇻに比べると、あまり注目されてこなかったの。
でも、私はこのウエペケㇾに焦点を当てています。
なぜなら、ウエペケㇾはとっても面白いから!
本当に、とっても面白いです!
人間関係や生活習慣を細かく描写しているので、アイヌ文化の精神に触れることができますね!
マンガで読むウエペケㇾ
この本の編集に当たっても、大須賀るえ子先生が協力しています。
この本だけでなく、どの本の中でも、アイヌ文化の世界観や習慣もポイントで説明してるのよ。
そうすると、物語からアイヌ文化の世界観が立ち上がってくるの。
結婚は、お見合いもあれば、恋愛結婚もあったこと。
飢饉というのが一番恐ろしいもので、そのために色々な備えをしていたこと。
子孫ができることは、神様からの授かり物であったこと…。
食事、習慣、家のつくり、時に戦争やケンカなど、色々なアイヌ文化の背景が知れて、とても面白いです!
大須賀るえ子先生
大須賀先生は、白老町在住のアイヌ文化とアイヌ語の研究者です。
アイヌ語上級講座の講師もしています。
父方の祖父は白老コタン生まれの宮本イカシマトクで、もともと熊狩りをしていた人よ。
その妻であった祖母は宮本サキといい、カムイユカㇻの伝承者だったの。
育てた小熊は25-6頭に上り、イオマンテ(熊の霊送り)の儀式も数多く行いました。
大須賀先生も、昔から儀式やアイヌ語に親しんできたのですか?
祖父母の記憶はあるけれど、自分から積極的にアイヌ文化に関わろうとは思っていなかったの。
50歳までは、ポロトコタンで木彫グマを売る仕事をしていたけど…。
その時は、自分のルーツであるアイヌ民族の血を、誇らしく思うことはできなかったわ。
しかし、50歳になってアイヌ語教室に通い初め、松永タケ媼や野本亀男翁に師事。
アイヌの口承文芸を読むようになってから、大須賀先生の考え方は大きく変わりました。
ユカㇻを読んで、こんなに面白いんだ!ってびっくりしたの。
私の祖先は、こんなに素晴らしい文化を持っていたっていうのが分かって、
自分のルーツが誇りに思えるようになったのよ。
アイヌのユカㇻは、ギリシャのオデュッセイアやインドのラーマーヤナと並ぶ、世界の5大叙事詩ですものね!
録音や文章にして、記録に残すことの大切さを感じますね。
60歳の時にはラジオのアイヌ語講座を担当し、2年間の大学の先生が講師をされたアイヌ語指導者育成講座にも参加しました。
その時に、アイヌ語白老方言が体系づけられていないことに危機感を抱き、後の「白老方言辞典」の出版に繋がりました。
金成マツノート
大須賀先生が読んでいるのが、金成マツ媼のウエペケㇾです。
アイヌ民族の詩人として最も有名なのは、知里幸恵さんでしょう。
金成マツ媼は、知里幸恵さんの育ての親であり、おばさんです。
マツ媼の母(幸恵の祖母)はモナシノウク媼というユカㇻの謡い手で、3人は一緒に暮らしていました。
そこに、モナシノウク媼に会うために、言語学者の金田一京助が訪問。
知里幸恵さんという逸材を発見します。
しかし、アイヌ神謡集を書き上げた幸恵さんは東京の金田一の家で死去。
マツ媼は、その数年後に会うこともできずに亡くなった幸恵さんの墓参りに行きます。
東京で金田一の家に滞在していたマツ媼は、ポツンと一人。
これまで「覚えているから」と書くことはしなかったユカㇻやウエペケㇾを、書き始めます。
彼女は実は、若いころ、幸恵さんの母ナミさんと一緒に、クリスチャンの学校で勉強していました。
立派なアイヌ語の文章を書く教養を身につけていたのです。
金成マツ媼のノートを見た金田一はびっくり。
日本語訳した本を出版します。
その後、萱野茂さんや蓮池悦子さんらも翻訳書を出しました。
現在、「白老楽しく・やさしいアイヌ語教室」で翻訳しているのも、この金成マツノートです。
金成マツ媼について興味を持たれたら、登別の銀のしずく記念館を訪れてみてください。
[…] 大須賀先生は、この講座のほかに、「白老楽しく・やさしいアイヌ語教室」も主催されています。 […]
[…] コミセンでは、大須賀先生による「白老楽しくやさしいアイヌ語」が毎週水曜日の18時から行われています。 […]
[…] トランネヘカチ(怠け者の少年)という劇で、フッチ役を大須賀るえ子さんと一緒に演じました。 […]